知ろうとしなかったこと

知ろうとしなかったこと

しゅうくんとじょうくんにっこりicon02
お花の球根を植えました。

しゅう「ママ!いちごの種も買いたい☆」

じょう「ぼくも植えたい!」

というわけで
種ではないけど苗をたくさん買ってきました。

さっそく植えまーす^^

知ろうとしなかったこと 知ろうとしなかったこと

知ろうとしなかったこと 知ろうとしなかったこと

知ろうとしなかったこと 知ろうとしなかったこと

いちごちゃんもお野菜も植えて
じょうしゅう農園の完成です☆
ぱちぱちぱち☆

しゅう「みんなで植えると たのしーいicon02

私  「うん、そうだねーicon02 おっきくなるかなー☆」


土を入れたり運んだりしながら歩いてたとき、

しゅう「ママ!ぼくたち ガーナの子みたい☆」

私  「icon01 どうして?」

しゅう「だって いっぱいお手伝いしてるもんicon02

私  「そうだねicon02


ガーナの子たち。

ガーナといえばカカオ というくらい有名なカカオの産地です。
その国の とある一家のお話を 
テレビで見たことがありました。

4歳と10歳の兄弟が毎日、
お父さんとお母さんのカカオ農園のお手伝いを
夜遅くまでしていました。

一家でどんなに頑張って朝から夜まで働いても貧しくて、
一部屋しかない家にはベットがひとつ。
そこで家族みんなで寝ています。
そして電気も 水道もありません。

夜8時にようやくお手伝いを終えて
兄弟が外で遊び始めたサッカーボールは
自分達の古い靴下を丸めて作ったものでした。

こんなに毎日カカオを作っているのに、家族全員、
チョコレートを見たことも食べたこともないという。。

日本では100円もあれば 簡単に食べられるチョコレート。
そんな先進国の人たちのために、
ガーナの子たちや人々は
ずっとこんなふうに暮らしているのだと。。

私は息子たちにもこのテレビを見せました。
そして、この日本でのこの家での暮らしが
世界の当たり前じゃないのだと
私は息子たちにいつも言っています。

ガーナの子みたい といったしゅうの心には
あの兄弟の姿が焼きついているのだわicon22
とっても嬉しい。。

そう、いつも忘れないで。
そしていつか、
人を助けことができる人になろうねicon22
こんなに恵まれた国に生まれてきたのだから。

私や私の息子たちはこんなにも恵まれているのに
世界には生まれながらにして
過酷な状況で生きていかざるを得ない子どもたちがいる。

映画 「闇の子供たち」

まだ公開されていない地域もあるけれど
東京や大阪ではすでに公開済みです。

内容は子どもの臓器密売や人身売買。

子どもが 実の親に売られていくという現実。
親はそのお金で テレビと冷蔵庫を手に入れるという。。

ユニセフの会報がうちに送られてくるたびに
記事で読んで、そんな現実があるということは
知ってはいたけれど。。


公式HP(こちら)プロダクションノートより(以下抜粋)

恵泉女学院大学 斎藤百合子先生のお話………………………

小説「闇の子供たち」を読んだとき
あまりのセンセーショナルな内容に
読み進めない気分にしばしば陥った。

これが現実に起きていることかと想像することは
とても恐ろしいことだった。

しかし、問題をセンセーショナルに扱うことは、
被害者を憐れみ、同情し、
「無力」で「無垢」なイメージを作り上げる危険性がある。

加害者に対峙するより、「非力な」被害者を救出することに、
マスコミをはじめとして社会的関心が集まるかもしれないが、
センセーショナルに取り上げれば取り上げるほど、現代は、
こうした犯罪行為に逆に関心を抱いて行動する輩が発生する。

これまで少女が誘拐された末に殺害された事件などを見ていても、
事件報道に触発されて同じような犯罪行為を起こす人間が
発生しがちではなかったか。

阪本監督とプロデューサーから小説の映画化へ打診があった時、
私は反対した。

映画化することでかえって児童売春者に刺激を与えてしまうこと、
センセーショナリズムは一時的な関心と同情を呼ぶが、
人身売買の背景となる社会経済および
政治的な構造的な問題の解決には向かわないと
考えたからである。

また、小説を映像化するには事実誤認と思われる箇所もあったし、
何よりも、国として日本よりもずっと先進的な人身売買対策を
行っているタイ政府に対して 失礼ではないかと思われる
箇所もあった。

また、タイ国内の臓器売買についてはほとんど知らなかったので、
あいまいな情報を映像化されることに大きな抵抗があった。


阪本監督は、私の抵抗感に同意する、と言った。
そして

「この映画はタイのかわいそうな子どもたちの映画ではない。
 日本や先進国の児童売春する者と 
 それらを創り出す社会を告発する 社会的な映画なのだ」

と語った。

どうしても映画を製作するならば、と以下のコメントと要望を
私は監督に伝えた。

子どもたちへの暴力シーンは極力描かないこと

子どもたちの非力や無力を強調するのではなく、
醜い買春者らの表情や体を画像に出すこと

子どもたちが本来もつ伸びやかな生命力を表現してほしいこと
(児童売春はそれらの力を奪う犯罪であることを観客が
 認識するため)

役者となる子どもたちの精神的な側面にも配慮をしてほしいこと

などである。

また、以前なら女衒、現代ならトラフィッカーと呼ばれる、
少女達を買い受け、移送するブローカーの男性を

「悪者」

としてだけ描くのではなく、
彼自身も精神的な被害を過去に追っているという
人間の複雑さを出してほしいことも要望した。

人身売買問題は、「悪者」を退治すれば解決するような
簡単な問題ではないのだ。

阪本監督は、私の要望を「ほぼ」かなえてくれた。
試写を見たときにそう感じた。

人間性をすり減らすような人身売買という思いテーマの中で
冒頭の満月や、ヤイルーンが故郷に向かう際に
大木に抱きつくシーン、
ラストのヤイルーン姉妹が水辺で戯れるシーンは、
彼女たちがほんとうにふつうの少女であったことを回想させ、
ほっとするとともに、人身売買の残虐性を暴力シーンではなく
浮き彫りにしている。

日本は人身売買受け入れ大国と言われている。

子どもたちもまたさまざまな方法で日本に連れてこられ、
被害に遭う実態がある。

複雑かつ巧妙に絡み合う背景を伴う人身売買ビジネスの根を
どう断ち切るか。

私たちひとりひとりに突きつけられた課題である。

人身売買が行われる背景

消費主義、拝金主義、自由主義の蔓延。

相対的貧困の増加、社会格差のスピードアップ
ガバナンスの崩壊。(中略)しかしもっとも大きな理由は
貧困や社会格差だけでなく、需要側の問題である。

需要が削減されていないのに、いくら供給側を水際で防止しても、
元の木阿弥。

これはタイにおける子供の人身売買、虐待を描いているが、
外国の出来事ではなく、
日本人はタイの人身売買問題に対していくつかの関わりがある。

買春者として関わっている人もいれば人身売買問題や
人身売買の背景にある貧困等の問題を解決しようとする人々
(おもに民間レベル)もいる。

加害者には自分の加害意識が希薄なのが問題。


………………………………………………………………………

映画の中の移植手術については

大阪大学医学部付属病院移植医療部 福嶌教偉さん
の意見もあります。 (こちら)

私はフィクションも織り交ぜながら現実に起きている
世界の闇を取りあげた映画だと思っています。

今まで知らなかったこと。知ろうとしなかったこと。
そして知っても 今 私にできることはなにがあるだろう。

自分のことばかり考えて生きていちゃいけない。
それだけは とてもとても強く思います。

恵まれすぎている私の息子たち。
いつか この現実を知る日も来るのでしょう。

お金で人を買うような人間には
絶対にならないで欲しいと思います。



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